日本で最初にオートバイが誕生したのは1909年だそうです。
それがやがて世界一と言っても過言ではないオートバイ大国となり、数多くの名車・珍車を生み出してきました。
そんな名車や珍車の中でも原付一種、原付二種に絞って、個人的な思い出話なども含めて好き勝手語っていきたいと思います。
今回は1987年に登場した、NSR50です。
ホンダ NSR50の話
まえがき
1986年に登場したスズキのギャグによって、新たに切り開かれたのがミニレーサーというジャンル。
しかしながらスズキとしては…名前の通りに恐らくは遊び心溢れるなんちゃってバイクだったハズ。
レーサースタイルのレジャーバイクがあったら面白いんじゃね?ってくらいのノリで作られた(と思われる)ギャグでしたが、そこはさすがに変態技術集団スズキ。
ビジネスバイクのバーディのエンジンがベースながら、意外や意外にしっかりとスポーツできるバイクが完成しました。
GSX-R…風のなんちゃってバイク ギャグ
出典:BikeBros.
遅れること1ヶ月、ヤマハからはYSR50が登場。
こちらもまだジョークの範疇とは言えたものの、TZRそっくりな外観に7psの2stエンジンを搭載。
更にはワークスカラーを思わせる赤白に、ゴロワーズカラーを思わせるブルーが発売されたこともあり…ギャグと共に一気にミニサイズというジャンルを確立。
ギャグは10インチ、YSRは12インチという小さいサイズのタイヤを履かせたマシンは、そのコーナリング性能から一躍ミニサーキットを席巻する勢いとなったそうです。
YSR50
出典:BikeBros.
このミニバイクレースの盛り上がりを見てホンダが満を持して投入したのが…そうNSR50ですね。
遅れること約1年半。
1987年6月に初期型(MC16)NSR250Rをそのまま小さくしたようなマシンが登場します。
見た目だけではなく中身もNSR250Rをしっかりと引き継いだと言え、当時のレーサーの定番であるツインチューブフレームを採用。
前後に油圧ディスクブレーキを搭載し、純正バックステップとも言えるポジション。
更には…こちらはNS50Fからの流用ですが、7.2psを発揮する2stエンジンを搭載。
ライバルに対して圧倒的な性能差を誇り(もちろん価格差も)、一気にミニバイクレースの出場車両をNSR一色に変えたという名車です。
初代NSR50
出典:BikeBros.
スズキが種を撒き、ヤマハが育て、ホンダが収穫する…なんて風刺ができたのもこの頃?
あ、決して自分はアンチホンダではございません。
本題
さてさてそんなNSR50ですが、先ほど書いたように1987年6月に登場。
前年の1986年10月に発売されたNSR250Rそっくりなデザインとカラーリングです。
初代 NSR250R
出典:BikeBros.
巨摩郡カラー…ではありません。
当時の全日本を走っていたRS250RやワークスのNSR250と瓜二つのカラー…とのことですが、自分が世代じゃないこともありちょっと詳細は不明。
赤白ではなく1987年に追加された青白は、当時のワークスであるTERRA味の素カラーにそっくりではありますが。
この辺りの詳細を知っている方がいたらコメント頂けると嬉しいです。
ちなみにこの赤白のカラーリングですが、1987年…つまりは初代NSR250R登場後に木下恵司さんが全日本でNSR500で乗っています。
更に最初に書いたように巨摩郡カラーではなく、巨摩郡のNSR500は下の赤ラインが3本ではなく2本。
著作権の関係で木下恵司さんのNSR500や巨摩郡のNSR500は適当な画像が無かったので、気になる方は検索してみてください。
カラーに付いて謎に語ってしまいましたが、1986年に登場したNSR50は1989年にモデルチェンジ。
外観ではカウルデザインが幅広タイプに変更され、チャンバーがアップマウントに変更されています。
ここまでを初期型とする人と、これから中期型とする人に分かれるか?
ロスマンズカラーを始めとしてHRCカラー等々、レプリカの名にふさわしいカラーがたくさん登場したのも特徴です。
アップタイプのチャンバーがイケてる NSR50
出典:BikeBros.
1993年に再びモデルチェンジを行い、最大の特徴はホイールが3本スポークから6本スポークになったこと。
見た目は好みの問題ですが…個人的には6本スポークの方がカッコいい。
しかし…ミニバイクレースをやっている方々からは不評で、わざわざ3本スポークタイプを探してくる人が続出したそうです。
3本スポークはENKEIが作っており、強度・軽さに優れ…更には精度も良かったとか。
NSR50は前期・中期・後期と言われることが多いですが、この1993年モデルが中期となります。
6本スポークは不評 NSR50
出典:BikeBros.
そして1995年にモデルチェンジが行われ、これが後期型。
カウルデザインが当時のワークス風に変更されただけでなく、ヤマハのTZM50Rに対抗するべく大掛かりな変更が加えられています。
フレームやスイングアームにまで手が加えられ、ラジエーターの大型化や点火方式の変更などが行われています。
足回りも設計変更により別物状態となり、後期型のサスペンションは非常に評価が高い。
がしかし…電気系は(レースをする人に)不評であり…1994年以前のものを流用する方が多かったそうですね。
それもあってか、競技専用車であるNSR-miniでは当初は後期型と同じ電気系統だったものが…2002年に1994年型と同様のものに変更されています。
大幅改良後期型 NSR50
出典:BikeBros.
そして1999年に発売されたレプソルカラーを最後に、当時のホンダの「2stを廃止して4st化する」と方針のためモデルライフを終えることとなりました。
競技車であるNSR-miniはその後も製造が続けられましたが、レース界と言えど4st化の波が来ており…後継モデルであるNSF100も普及してきたことから2009年に終了となっています。
ちなみにNSR50はミニバイクレース界を席巻したこともあり、この時代のキッズライダーのほとんどがNSR育ち。
最も有名だろうライダーは250ccクラスの世界チャンピオンである故加藤大治郎選手か。
他には125ccクラスの世界チャンピオンであり、現在はオートレーサーの青木治親選手。
青木治親選手と言えば…当然青木3兄弟はみんなNSR育ちです。
偉大なライダーを育てた名車がNチビことNSR50ですね。
思い出話
そんなNSR50ですが、一時期結構頑張って探していました。
サーキットを走ってみたくて、当時乗っていた250ccが走れるミニサーキットを走ってみたのですが…やはり普段乗りにも使っているだけに思い切っては走れず。
サーキット専用車としてミニバイクが欲しいなぁ、という思いで探していました。
時は2000年代の前半となっており、NSR50の最終型は1999年ということで既に絶版。
当時は2st→4stの流れが盛んな時期でしたね。
幸いにも自分の時代にはまだ2stに乗れる環境だったと言え、当時の高校生は多くが2stMT車か2stスクーター。
まだ原付では4stに乗っている人の方が少なかった時代でした。
…少なくとも自分の周囲では。
自分もRG-125ΓやNS-1等を所有していた時期があり、特にNS-1はタマ数も多く手が出るレベルで存在していましたね。
しかし…Nチビは既にプレミアが付いていたと言って良く、自分が購入を最後まで悩んだ1997年式は定価を超える30万円というプライス。
もちろん中古ですよ?
しかもあんまり程度が良いとは言えない車両でした…。
1997年式はパッと定価が出てきませんが、最終型の1999年式のレプソルカラーが28万5,000円。
中古で程度も良くないのに30万円という、強気なプライスが付いていたのです。
探せばもっと安い個体もあったのかもしれませんが、当時は今のようにネットで中古車を探す…なんてことはまだまだ発展途上。
本屋で雑誌を買ってきて、そこに掲載されている車両を見てお店に行ったり電話をしたりしたものです。
自分の住んでいた周辺が田舎ということもあってか、NSR50ですら選べるレベルにタマが無かった…とも言えますね。
TZMなんて(行ける範囲の店には)0台…なんてのも珍しくありませんでした。
当時は競技専用車であるNSR-miniが、まだ新車が購入できた時代。
ちなみに、1999年の初期型NSR-miniが26万5,000円でした。
2009年まで販売されており、途中で価格改定があったかどうかは覚えていませんし…パッと調べても不明でしたが…程度の悪い中古のNチビ探すくらいならminiが新車で買えるじゃんって感じ。
ただ…貧乏学生は当然トランポなんて用意することもできず、周囲にそういった仲間もおらず…。
本気になって行動すればそういった環境も整えられるものかもしれませんが、そこまで金と時間をかける決心ができなかった…という思い出です。
本気でミニバイクレースがしたかったわけではなく、ちょっとサーキットでスポーツ走行してみたかった…という感じですので。
暫くの後、2010年代も中頃から後半にかかる頃には…職場の方のお子さんがミニバイクレースをしていたこともあり邪魔しに行くことも。
しかしこの頃には徐々に主流がNSF100に移ってきている…という状態でしたね。
オジサン方はまだまだNチビとか乗っていましたが、これから始める子供達はみんなNSF100という時代でした。
2020年代になってからはミニサーキットを見に行くこともできておらず、現在は何が主流で走っているのか?
Nチビにはそんなちょっとした後悔のような、憧れのような複雑な思い出があるのです。