日本で最初にオートバイが誕生したのは1909年だそうです。
それがやがて世界一と言っても過言ではないオートバイ大国となり、数多くの名車・珍車を生み出してきました。
そんな名車や珍車の中でも原付一種、原付二種に絞って、個人的な思い出話なども含めて好き勝手語っていきたいと思います。
今回は1997年に登場した、ドリーム50です。
ホンダ ドリーム50の話
まえがき
今回紹介するのはホンダの夢のオートバイ、ドリーム50です。
1997年に登場したドリーム50ですが、登場した当時としても超の付くオールドルック。
それもそのはず、1962年に登場したCR110カブレーシングがモチーフとなっている車体でした。
モチーフとなった CR110カブレーシング
出典:Wikipedia
CR110カブレーシングとは何ぞや?というところですが、こいつは1962年にWGP50ccクラスを走っていたワークスレーサーRC110の市販レーサーとして登場した機体。
WGPは今で言うところのMotoGPなわけですが、当時は50ccクラスというのが存在していたんですよね。
ホンダワークスが初めて投入した50ccレーサーがRC110でして、これの市販車として登場したのがCR110カブレーシングということになります。
車名のRC110にしてもCR110にしても…排気量を示す数字では無いのが紛らわしいところ…。
せっかくですので本家とも言えるRC110も少し深堀っていくと、RC110登場よりも少し遡ること1959年。
この1959年はホンダがロードレース世界グランプリに挑戦を始めた年で、125ccクラスにRC141という車両が出場しています。
翌1960年には250ccクラスにもRC161で参戦。
3年目の1961年には両クラスでライダータイトルとマニュファクチャラータイトル(メーカータイトル)を獲得してしまいます。
そして翌1962年に新たに設立された50ccクラスに参戦するために作られたのがRC110…ということなんですね。
しかしながらこのRC110はライバルであるスズキやクライドラー、デルビなどを相手に苦戦し、年間わずか1勝に終わります。
ホンダは4ストロークのマシンを使用していましたが、ライバルは軽量ハイパワーの2ストロークということもあり…50ccのタイトルを獲得するのは1965年まで待つことになります。
軽量ハイパワーのライバルに対抗するべく、50ccながら2気筒に進化。
他のクラスでも125ccは最終的に5気筒、250ccクラスと350ccクラスは6気筒と多気筒化していくことになるのですが…これはまた別の機会に。
ちなみになぜホンダは不利な4ストロークを続けたのかというと、本田宗一郎氏の4スト嫌いということが大きな要因。
所説あるものの…4スト嫌いというと少し語弊があるかもしれず、本田宗一郎氏も「2ストロークの方が構造が簡単でパワーも出しやすいから良い」と考えていた時期もあるとか無いとか…。
しかし当時の日本よりも1歩も2歩も先を進んでいた欧州を視察した際に、街を走る4ストロークを見て「これからの時代は4ストロークだ!」となったそうです。
2ストはうるさい、汚い…というのが理由として言われていますが、実はそれ以外にも大きな理由がありました。
当時は今と違い100や200とも言われるオートバイメーカーがあり、各社が競い合っていた時代だったんです。
そんな中「ホンダと言ったらコレ」という、決め手のような物が欲しかった…という説も語られていますね。
真相はわかりませんが結果として本田宗一郎氏は4ストにこだわり続け、4ストのホンダという地位を確立させていくことになります。
話が横道に逸れてきたので戻しますと、そんなRC110の市販モデルとしてCR110カブレーシングが登場。
なんでも読みは「シーアールひゃくとうカブレーシング」だそうで、ついつい「ひゃくじゅう」と言ってしまいがち…。
こいつはいわゆる市販レーサーですが、レース仕様車の他に保安部品装着仕様車の計2タイプが販売されました。
本当にさっきと同じ人? CR110カブレーシング
出典:BikeBros.
保安部品装着車ということで公道走行可能なのですが…実質のところは当時のレースのホモロゲーションを取得するために作った車両と言って良いでしょう。
なんでもこの1962年は全日本モーターサイクルクラブ連盟が、ノービスクラスの車両規定に型式認定をホモロゲとして規定したらしいです。
当時のホモロゲは50台だったそうで、保安部品装着車が現存するのかどうかは謎ですね。
ちなみに見た目が全く違って見えるのは、世界GPではマン島TTレースを始めとした完全なオンロードコースに対して日本では浅間火山レースを始めとした未舗装路だったから。
と言っても高性能化するバイクに対してコースが危険となってきたこともあり、1959年の第3回大会を最後に浅間火山レース(全日本オートバイ耐久ロードレース)は終了。
CR110カブレーシングが発売される1962年には鈴鹿サーキットも完成し、徐々に海外と同じようにオンロードコースへと移行していた時代でもあります。
この辺りは本題では無いので、とりあえずレース仕様車は世界GPなどを見据えたオンロードのレーサー。
保安部品装着車は日本の情勢に合わせた、今で言うところのスクランブラーと思っておけば良いかもです。
名称にカブが入っているのは、初代スーパーカブであるC100?のクランクケースをベースとしたから…と言われています。
しかしながらあくまでもクランクケースであり、エンジン自体は全くの新設計と言っても過言ではありません。
そもそも横型ではないですし、ディ〇ニーの某有名ネズミに例えられたDOHCのカムカバーと言い…別物ですね。
と言うことで現代人としては、そんな歴史あるCR110カブレーシングって名車があったんだな…という程度で全然OKです。
そして長いまえがきもそろそろ終盤です。
33年の月日を一気にすっ飛ばして、時は1995年の第31回東京モーターショー。
あくまでも参考出品ではあったものの、往年のCR110カブレーシングを彷彿させるドリーム50が登場します。
今回の主役 ドリーム50
出典:BikeBros.
本題
ということで1995年の東京モーターショーにて登場したドリーム50ですが、上記に書いたようにあくまでも参考出品でした。
なぜ突然こんな車両が出てきたのかと言うと、ホンダは1946年に起業しており50周年を迎えるから…と言われています。
50周年記念モデルという形で、当時のCR110カブレーシングをモチーフにしたバイクを作ったわけですが…実際のところはかなりアレンジが加わっていますね。
あくまでも雰囲気はしっかりとCR110カブレーシングながら、装備関係は現代の技術を取り入れるといったところ。
例としてはディスクブレーキの採用が大きいでしょうか?
単気筒ながら2本出しとなったマフラーなども、ドリーム50ならではの装備。
またエンジンに関してもさすがに当時の…というわけにはいかず、XR80Rがベースと言われています。
しかしながら最大の特徴でもあるミッキー〇ウスヘッドを再現するために、しっかりとDOHCとしているあたりがさすが。
1960年代当時を知っている当時(1995年)の30代後半から60代を中心に、多くの人がこの参考出品車両の市販化の要望を出したそうです。
最初から発売する予定だったのか、市販化の声に応えたのかはわかりませんが…1997年についにドリーム50が市販化。
その名の通りに夢のようなバイクが登場しました。
夢のようなバイク…ではあったものの、価格が32万9,000円と非常に高額であり…やはり50ccという縛りも販売の足を引っ張ったと言われていますね。
現代からすると今一つ約33万円というプライスがわかりませんが、当時のホンダの原付と言うと…ベンリィが約19万円、モンキーが約20万円といったところ。
高価格帯であったジャズが約26万円、NS-1が約30万円となっていた時代です。
NS-1があれだけ売れたことを考えると…値段だけが原因ではない気もしないでもないですかね。
また上記でも書きましたが、30km/h制限や二段階右折などの50ccという縛りも販売不振の原因と言われていますが…これまたNS-1が…以下略。
刺さる人には刺さるものの、一般ウケする車両では無かった…ということかもしれません。
翌1998年には1,000台限定で特別カラーのスペシャルエディションが販売されました。
燃料タンクがモンツァレッドにフレームがブラックに塗られたことで、より当時のワークスレーサーっぽさが際立つモデルに。
個人的にはこっちが好き スペシャルエディション
出典:BikeBros.
しかしこちらも何が原因か…あまり販売はよろしくなく、1,000台が捌けなかった…という話も聞かれますね。
そしてこの年代のその他の原付と同じく、どんどんと強化されていく排ガス規制のために2000年で販売を終了しました。
その後、絶版車として一部マニアには人気があり…中古市場では変わらず高値を付け続けて現在に至ります。
2000年代後半…もしくは2010年代前半くらいまでは、不人気が故にか廃業するバイク屋等々から掘り出し物の新車が出てきたりなんてこともありました。
もちろん…当時の新車価格を遥かに超えるプライスで販売されることになっていましたが…。
そんなドリーム50なのですが、なぜか?レース専用車も存在します。
オジサン達が本気で遊ぶために作られたマシンなのか…それとも商売になると考えていたのかは不明ですが…。
HRCよりレース専用のキットパーツと、キットパーツが組み込まれたコンプリートマシンが販売されドリーム50Rという名称でしたね。
気分は60年代! ドリーム50R
出典:BikeBros.
ドリーム50登場と同じく1997年より販売が開始されましたが、実はこのモデルはドリーム50が生産終了となった後もひっそりと存在。
実に2009年まで購入可能でした。
とは言えレース専用車のため公道走行不可なことや、キットパーツを組み込んだことによる価格アップ(43万8,000円)のためかあまり売れたとは言えない気も…。
ある意味では、50周年を口実に開発者達が本当にやりたいことを徹底的にやったのがドリーム50と言えるかもしれません。
もちろん大ヒットを予想していたのにコケた可能性も否定はできませんが…時代を考えても企業にそのくらいの遊び心が許される体力があった…と言えるでしょう。
思い出話
個人的には全く関りの無かったバイクです。
やはりそれほどタマ数が出たわけでもなく…しかもこの手のバイクって買った人はなかなか手放さないでしょう。
盆栽として走らせずに自宅に飾っておく用に買った人もいるとかいないとか…。
バイクに乗り始めた2000年代には既に販売終了となっており、元々の価格の高さもあって購入対象にも挙がらないような車両でした。
「50ccなのに4バルブのDOHCを積んだ変態バイクがある」という、それだけの認識でしたね。
なんでも1960年代のレーサーがモチーフだそうだ…というくらいの知識でした。
同じく1997年より販売されていたCB400FOURとセットで「ホンダのノスタルジックバイク」という認識。
今にして思うとCB400FOURも、ヨンフォアことドリームCB400FOURの路線ではなくCB750FOURの路線なんだよなぁと思ったり。
話はドリーム50に戻しますが、当時としてもスタイルは嫌いじゃなかった車体です。
しかし…今改めてみると超絶カッコいい。
シンプルでため息の出るような美しさがありますよね。
ドリーム50が発売された時の当時のオジサマ達の反応はわかりませんが…個人的にはディスクブレーキの採用は大歓迎。
スポークホイールがキャストホイールになってたら…さすがに違うかなぁ?という印象です。
邪道だと言われそうですが、旧車風の現代バイクで良いんです。
とは言っても発売当時は「邪道だ」とか「なぜドラムじゃないのか」なんて声もあったんじゃないかと思ったり。
あくまでも個人的に…ではありますが、デザイン面と機能面で絶妙なところを突いているのがこのドリーム50というバイク。
オッサンとなった今では100点満点を与えたいバイクであります。
ただ実際に乗るとなったら30キロ制限を始めとした制約で嫌になりそう…。
デザインの特徴でもあるロングタンクとセパハン故に、そんなにのんびり走ってたら身体が痛くなってしまいそうな予感。
いやいや、ガンガン走ったところでオジサンには厳しいライディングポジションでしょう。
とは言ってもこのデザインは魅力。
どうやら自分は60年代辺りのレーサーが好きらしいです。
ちなみに余談になりますが…ドリーム50はもはや現実的ではないものの、代替案としてスカイチームというところのエース125という車両があります。
いわゆる中華バイクであり「パクりやん!」って言う方もいるかと思います。
更には代名詞とも言えるミッ〇ーマウス(DOHC)じゃない!
OHVとOHCの2種類があったようですが、今はOHVなのかな?
人によっては拒否反応が出るかとは思いますが…自分としては結構アリかもしれません。
なんと言っても50ccじゃなくて125ccってのが良い!
失礼な言い方ながら…そもそも海外のよくわからないメーカーって結構面白そうなバイクが多いんですよね。
この【名車・迷車】シリーズとは別に、現時点で買えそうな気になる車両シリーズでも始める…かもしれません。