日本で最初にオートバイが誕生したのは1909年だそうです。
それがやがて世界一と言っても過言ではないオートバイ大国となり、数多くの名車・珍車を生み出してきました。
そんな名車や珍車の中でも原付一種、原付二種に絞って、個人的な思い出話なども含めて好き勝手語っていきたいと思います。
今回は1981年に登場した、AR50/AR80です。
カワサキ AR50/AR80の話
まえがき
今回紹介するのは、1981年4月に登場したカワサキのAR50/AR80です。
「漢カワサキの初の原付」と言われることもあるようですが、正しくは「カワサキ初の原付オンロードスポーツ」となるでしょう。
というのもカワサキの初の原付は1961年に登場したペットM5という車種。
モペットでいわゆるスーパーカブのような車体ですね。
当時は川崎航空機工業という名称であり、それまでの川崎明発工業から名称が変更されたばかりでした。
まぁこの辺りは詳しくないですし、今回の本題とは違うので…とりあえずAR50はカワサキ初の原付じゃないよ、とだけ。
カワサキ初の50cc ペットM5(手前側の車両)
AR80の存在もあるので、その上のクラスもざっくりとだけ見ていきましょう。
1968年には90Sという90ccのモデルが存在し、1970年には125TRという125ccモデルが存在したりと小排気量の車両を製造していなかったわけではありません。
特に125TRは1975年にKE125と名前を変え、1977年にはKH125に進化。
Zシリーズと並び人気のあったKHシリーズの末弟となりました。
とまぁ小排気量モデルがなかったわけではありませんが50ccのモデルはペットM5まで遡ることとなり、1981年にAR50で長き沈黙を破ることになりました。
今も変わらないと言えば変わらないかもしれませんが、当時からカワサキと言えばビッグバイクのイメージ。
そんな「あのカワサキが原付?」という空気感があったそうです。
小排気量車は上記のように存在したものの、やはり免許制度などの関係から原付は別物という感じだったのでしょうか?
ちなみに今のように50ccまでの原付免許は大昔(調べると1954年らしい)から存在し、AR50が登場した当時は原付のヘルメットは義務ではなかったこともあるかと思います。
(原付のヘルメット義務化は1986年)
そんなカワサキの熱狂的なファンの心配をよそに、フタを開けて見ればとんでもない原付スポーツが登場するわけですが…詳細はこのあとの「本題」にて。
カワサキの原付はこれで終わらず、1ヶ月後にはオフロードモデルのAE50が登場。
AE50はもちろんパワーユニットが共通の兄弟車と言って良いでしょう。
兄弟車 AE50(画像は輸出仕様)
出典:BikeBros.
翌1982年にはレジャーバイクであるAV50が登場。
現在ではアメリカンとも言われるAV50ですが、こちらはARやAEとは異なり横型の4ストエンジンを搭載していました。
唯一の4スト50cc AV50
出典:BikeBros.
せっかくなのでこの「まえがき」の部分で当時のゼロハンスポーツも見ていきましょう。
当時はバイクブームということもあり、原付も本格志向のモデルが望まれるように。
生活の足としてのスクーターとは別に、オンロードモデルやオフロードモデルはどんどんと高性能化していきます。
ゼロハンスポーツの高性能化となると、1979年に登場したホンダのMB50が走りでしょうか?
ホンダ初となる2スト50ccエンジンを搭載し、最高出力7psを発揮。
これに続くようにスズキはRG50Eを投入し7.2psを発揮。
ヤマハと言えば当時はRD50ですね。
そんな時代にカワサキが満を持して投入したのがAR50だったわけです。
本題
そんな満を持して投入されたAR50ですが、事前に噂されたクラス初の水冷エンジンは搭載されず…。
しかしながら当時のGPレーサーであるKR250/350譲りのユニトラックサスペンションを搭載。
6速ミッションにセパハンバックステップもクラス初になるでしょうか?
「KR感覚」や「リッター辺り144ps」といったフレーズも使われ、カタログにもKRが描かれるなど徹底したイメージ戦略も行われていました。
非常に細身ながらも、Z400FXを思わせるデザインも評価は高かったようですね。
AR80も同時に10psを発揮した兄弟車として登場しています。
カワサキ初のゼロハンロードスポーツ AR50
出典:BikeBros.
そんな登場時はかなりの高性能車という認識だったAR50ですが、ライバル3社も当然黙っているわけがなく…。
同1981年(しかもわずか2ヶ月後)にヤマハは50ccクラス初となる水冷エンジンを搭載したRZ50を投入。
翌1982年にはホンダも水冷エンジンに進化したMBX50を投入。
スズキも同1982年に水冷エンジンを搭載したRG50Γを投入し、時代は一気に水冷の時代になります。
そんな過激な進化を続けたこともあり、事故が増えたことで1983年には60km/hの速度規制(自主規制)が設けられてしまいます。
カワサキも1983年に自主規制に対応させ、更にはビキニカウルを搭載したAR50Ⅱを投入。
デザインも変更されGPz風のサイドとテールが繋がったデザインに変更され、翌1984年にはAR80も同様にデザイン変更されます。
当初は各社真面目に出力を絞って対応していたようですが、かつての原付を知っている人達からは「規制後の原付は遅い」と言われてしまいます。
(もちろん1983年式のAR50もこの手法で7.2ps→4.6psに)
OPだったカウルが標準装備に AR50Ⅱ
出典:WEB Mr.Bike
そんな不評の声もあってか1984年頃から各社、7.2ps仕様のままに60キロのスピードリミッターで対応するように。
AR50は1984年に再び7.2ps仕様に戻り、車名もAR50Sとなりました。
再びフルパワーに AR50S
出典:WEB Mr.Bike
しかしながら他3社のように水冷化を始めとした、更なる高性能化の波に乗ることなく…1988年にKS-1が登場したこともあり生産を終了。
(正しくはKS-Ⅰですが、KS-1の他にもKS50と呼ばれることも)
1991年頃まではカタログに載っていたようですが、KS-1へとバトンを引き継ぐことになりました。
ちなみにそんなKS-1もAR50の空冷エンジンがベースとなっており、水冷のKSR-1へと進化するのは1990年です。
(こちらも正しくはKSR-Ⅰですが、同様にKSR-1やKSR50と呼ばれました)
後継モデル? KS-1
出典:BikeBros.
思い出話
そんなTZM50Rですが、個人的にはどうにもこうにもタマが無いイメージしかありません。
確かに自分がバイクに乗り始めた頃には既に生産終了となっていましたが…NSR50はまだチラホラとありましたね。
NSR50も価格が高騰し始めていましたが、TZMは探したくても探せない…といった状態。
どこでだったか不動車の初期型、紫ホイールのTZMを見た記憶がある程度です。
2000年代後半から2010年代には知り合いのレース観戦のためにミニサーキットに行っていましたが、やはり圧倒的にNSR50ばかり。
そしてレーサーも4スト化の流れでNSF100に乗り換え…という時代でしたね。
当時のMotoGPレプリカカラーに綺麗に塗られたマシンもチラホラといましたが、例えばゴロワーズヤマハのYZR-M1レプリカも…マシンはNSRやNSFなんてことも。
一度TZMを見かけましたが、やはりオーナーさん曰く「ホンダが嫌いだから」という理由でした。
ちなみにカワ党でKSR-1で戦う方もいましたが、こちらは更に珍しいかも?
自分は両車を乗り比べたことが無い…というかTZMに乗ったことが無いので正しいのかはわかりませんが、当時のミニバイクレース界のオジサマ方が言うにはTZMの方が速いとか。
ただNSRの方が乗りやすく、更にはセッティングが出しやすいと言ってた人が多かった印象。
バッチリとセッティングが決まり、レーサーも集中しきって走れればTZMの方が速い。
しかしレースとなると外乱も多いし、セッティングのハウツーが豊富なこともあってNSRの方が好成績を残せる。
エンジョイユーザーならばタマ数が多く、部品も多いNSRの方が困らない…という感じのお話でした。
TZMの発売が1994年ではなく、TZRと同じく1990年であれば…ミニバイクレース界も今とは違っていたのかと思わないこともありません。