日本で最初にオートバイが誕生したのは1909年だそうです。
それがやがて世界一と言っても過言ではないオートバイ大国となり、数多くの名車・珍車を生み出してきました。
そんな名車や珍車の中でも原付一種、原付二種に絞って、個人的な思い出話なども含めて好き勝手語っていきたいと思います。
なんていつもと同じ前振りですが、今回は国産車ではなくイタ車です。
今回は1992年に登場した、RS50と後継モデルのRS4 50です。
アプリリア RS50/RS4 50の話
まえがき
今回紹介するのは、1993年に登場したアプリリアのRS50です。
アプリリアは…とか言い始めると話が終わらなくなるので、ざっくりとだけ。
創業は1945年の第二次世界大戦直後となり、当時は自転車の生産を行っていたそうです。
1960年代後半頃からオートバイを作り始め、小排気量車やスクーターで成功した会社ですね。
この頃は「オフロードのアプリリア」だったようですが、1980年代後半よりロードレース世界選手権に参戦を開始。
1990年代から2000年代には125ccクラス、250ccクラスで無類の強さを見せつけ、「軽量クラスのアプリリア」になりました。
その後は500ccクラス/MotoGPクラスにも参戦。
更にはスーパーバイク世界選手権でタイトルを獲得するなどしており、以前よりは「アプリリア=小排気量車」というイメージは無いかも?
現在もMotoGPクラスに参戦しているため、「アプリリア=小排気量車」なんて語る人はオッサンと思って良いでしょう。
アプリリアの話だったのかアプリリアのレーサーの話だったのか…という感じの前書きとなりましたが、それもそのはず今回の主役はRS50です。
既にGPの世界には50ccクラスは存在しませんでしたが(1983年まで)、GP250レーサーであるRSV250とGP125レーサーであるRS125Rが大活躍。
そのレプリカとして登場したのがRS250であり、RS125であり、更にはその弟分であるRS50なのです。
ちなみにRS125を語るなら、レーサーであるRS125Rの話が必要で…更には前身であるAF1へと話が行くのですがそれはまたRS125の時にしましょう。
とりあえず1985年にロードレース世界選手権の舞台に参戦し(250cc)、1987年に初優勝を記録。
1988年には125ccクラスにも参戦し、1991年よりRSV250及びRS125Rが登場すると一気にこのクラスの王者となった…というお話です。
そしてそんなRSシリーズのレプリカとして、まずは1992年にRS125が登場。
翌1993年に今回の主役であるRS50が登場し、1994年にRS250が登場しました。
(引用に適した画像が無いので、気になる方は「aprilia rs50 1993」とかで検索してみて)
本題
既にこの50ccクラスは廃止されていましたが、生い立ちを考えればレーサーレプリカと言っても過言ではないRS50。
1993年に登場するわけですが、非常に大柄な車両なのが特徴の1つでしょう。
ある意味では125ccであるRS125に50ccのエンジンを載せたバイク…とも言えます。
イタリアのメーカーだけに大柄な欧州人の体格に合わせて…なんて話もあるようですが、恐らくはコストと実用性の兼ね合いで共通パーツを多用しただけでは…。
エンジンはミナレリヤマハ製。
ミナレリヤマハと言うのはモトーリ ミナレリという会社で、元々小排気量車を製作していたメーカーです。
1990年にヨーロッパヤマハにより買収されヤマハ傘下に。
そう言えば2020年にミナレリの株式をファンティックモーターに譲渡する…というニュースがありましたね。
ヤマハとファンティックのパートナーシップ強化が目的…と言う話でした。
話はRS50に戻しまして、この初代RSシリーズはレーサーと同様にAF1からの進化系。
カウルデザインもほぼ変わらず、フレームやスイングアームはAF1と共通と言われていますね。
1995年にマイナーチェンジが行われ、兄貴分であるRS250と同様のスタイルになります。
(こいつも良い画像が無いから「aprilia rs50 1995」とかで検索してみて)
ここまでがDGM型と言われ、メーカー公称8.8psというバケモノバイク。
日本ではメーカーの自主規制により7.2psとなっており、軽量かつ小排気量だけにわずかな馬力差でも大きな違いです。
そのため一部の人達からは「最強の原付はRS50」という声が聞かれますね。
しかしながら違うところからは「RS50?あれ全然走らないよ?」という声も聞かれ…一体どういうことかと。
どちらも言っていることは間違っておらず、想像している…もしくは乗ったことのあるRS50の年式が違うのです。
さてさてそんなRS50ですが、1996年には輸出仕様が増えたこともあってか輸出先に合わせて仕様を調整。
これにより8.8psだったパワフルマシンは出力低下を余儀なくされた…ようです。
我らが日本ではこの1996年より正式に販売が開始され(日本仕様)、非公式ながら6.7psというのが定説らしい。
ということで多くの日本人が知っているRS50はこの型以降。
「速いことは速いけど噂ほどじゃない…」「NS-1やTZRと同じくらい」と言う方が多いのはこの辺りが原因か?
1997年にはマイナーチェンジによりエンジンが変更されここから6速仕様に。
1999年にはフルモデルチェンジを行い、世界初となるアルミダイキャストフレームを採用。
大きな特徴だった片持ちスイングアームが…残念ながら通常のスイングアームに変更されました。
この1999年よりPGE型と呼ばれますが、この呼び名はみなフレームナンバーの頭文字ですね。
2001年にマイナーチェンジを行いSE型に進化。
排ガス規制、騒音規制等々の影響で大幅なパワーダウンとなっており…これ以降のRS50のイメージがある人は「遅い」「走らない」と言います。
なんでもこのSE型は3.2ps程度と言われ…当時も日本メーカーは当然Max7.2psです。
ゼロハンスポーツは当然、かっとびスクーターのZZも7.2psだった時代。
4ストエンジンのエイプが3.7ps…と言えば非力さの想像が付くでしょうか?
2001年のSE型 RS50
出典:BikeBros.
その後も多少のマイナーチェンジがありましたが、2007年にデルビのGPR50Racingをベースとした新型にモデルチェンジ。
ちなみにデルビというのはスペインのメーカーでしたが、2001年にアプリリアと同じくピアッジオ傘下となっています。(アプリリアは2004年にピアッジオ傘下に)
同一グループということで…実質名前が異なるだけで新型RS50はGPR50と同じマシンとなっており、今までのRS50とは全く異なるマシンとなってしまいました。
非力なのは変わらず、4.0ps程度だそうです。
GPR50の兄弟車 2007年式RS50
出典:BikeBros.
2012年には兄貴分であるRS125が4ストエンジンを搭載した新型の、RS4 125に進化。
タイミングを同じくしてRS50もRS4 50に進化します…が、当時の排ガス規制が2ストのまま通せたこともあり50ccモデルは2ストのまま。
RS4のフォーとはなんぞや?という気がしないでもないですが、イタリア人は気にしないのか?
排ガス規制対応のために…更なるパワーダウンとなっているそうで、「2stのゼロハンスポーツは速い」というのはもはや過去の物。
ちなみに日本での正規販売は、2013年に30台ほどが輸入されたに留まるそうで…なかなかのレア車となっています。
RSV4顔に進化 RS4 50
出典:BikeBros.
排ガス規制という足枷に翻弄された、悲しき最強のゼロハンスポーツがRS50なのです。
そしてあくまでも個人的に…ではありますが、デルビ製のRS50は知らない子です。
思い出話
個人的には特に思い出の無いバイクだったりします。
自分がバイクに乗り始めた2000年代の前半では、RZ50辺りと共に数少ない新車で買える2stマシンでした。
ただ…やはりここでアプリリアを選ぶという変わり者はおらず…身内では見ないバイクでしたね。
1人だけ小さな頃からバイクレース大好き人間だったヤツが、原田哲也さんや坂田和人さんへの憧れからRS50を検討したようですが…。
古くはロリス・レジアーニ(カピロッシじゃないよ)、アレッサンドロ・グラミーニ。
有名どころではマックス・ビアッジにバレンティーノ・ロッシ。
先ほど名前を挙げた原田哲也さんに、ロリス・カピロッシ、マルセリーノ・ルッキと、レプリカカラーを含めレースイメージを作るのが上手い会社でしたね。
カズートさんこと坂田和人さんは…ワークスじゃなくプライベーターだったこともあってか、世界チャンピオンを取ってもレプリカが出なかった…。
そんなオジサン達の思い出話から時を進めると、自分の世代ではマルコ・メランドリやマルエル・ポジャーリ、ホルヘ・ロレンソ辺り。
まさに当時のGP界(125cc、250ccクラス)の有名どころが揃っており、レース好きからすればRSシリーズというのは気になるマシンではあります。
そういえば、友人の友人という微妙な関係の人がRS50に乗っている…と聞いていたものの、ついぞ会うことは無く。
写真を見せてもらったような気もするけど、今となってはMMA型だったかPGE型だったかすら覚えていないという始末です。(PGE型以降のSE、TSJの可能性も)
2007年より前なのでデルビ製ということは無い…という程度にしか覚えていません。
当時の自分は原付免許を取得せず、最初から普通二輪を取ったということもあり…あまり50ccに興味が無かったんですよね。
今思うと非常に勿体ないことをしました。
当時のバイク界ではどうだかわかりませんが、自分の周囲ではアプリリアというのは非常にレア車でしたからね。
多少強引にでも友人に頼んで、友人の友人を紹介してもらうべきだったかもしれません。
そんな今改めて気になるRS50でした。