日本で最初にオートバイが誕生したのは1909年だそうです。
それがやがて世界一と言っても過言ではないオートバイ大国となり、数多くの名車・珍車を生み出してきました。
そんな名車や珍車の中でも原付一種、原付二種に絞って、個人的な思い出話なども含めて好き勝手語っていきたいと思います。
今回は1992年に登場した、スーパーディオです。
ホンダ スーパーディオの話
まえがき
ホンダの原付スクーターと言えばディオ!という時代がありましたよね。(今も?)
今回はその2代目に当たるスーパーディオを取り上げたいと思うのですが、まえがきとして簡単にディオシリーズの歴史を振り返ってみたいと思います。
まずDioが登場したのが1988年の1月。
AF18というモデルですが、名前の前後に何も付かない「ディオ」となっています。
歴史の始まり初代 ディオ
出典:BikeBros.
そして1990年1月に、初代ディオのスポーツモデルとしてディオSR(AF25)が登場。
フロントブレーキがディスク化されたのが大きな違いですね。
そして1990年12月に2代目として登場したのがスーパーディオ(AF27)です。
2代目こと スーパーディオ
出典:BikeBros.
このスーパーディオシリーズにもフロントブレーキがディスクとなったスポーツモデル、スーパーディオSR(AF28)が1991年1月とすぐに登場。
イエローレンズが特徴でしたが…これはのちにスーパーディオZXに引き継がれる形で廃止となっていますね。
今名前が出たスーパーディオZXは1992年2月に登場。
これはSRと同様のスポーツモデルですが、リアスポイラーを装備したりエンジン出力が強化されたりと…更にスポーツモデルとして登場しています。
この時代は各社リアスポイラー付きの車種が発売されて、ブームとなっていました。
1994年1月に、3代目となるライブディオ(AF34/AF35)が登場。
3代目 ライブディオ
出典:BikeBros.
ここからは本題から逸れるので駆け足でいきますよ。
ライブディオにもSRとZXがあり、これはスーパーディオと一緒。
1996年には前後連動のコンビブレーキ(当時はそう呼んでいませんでしたが)搭載のSTが登場。
1999年にマイナーチェンジに伴い廉価モデルのJが登場し、2001年のマイナーチェンジで無印がなくなりSが登場しました。
そして2001年に4stエンジンを搭載したスマートディオ(AF56/AF57/AF63)へと引き継がれる形で、2stのディオの歴史は終わります。(これが4代目)
4stになりました スマートディオ
出典:BikeBros.
名称は引き継いだことでDioの歴史は続き、2004年には再び前後に何も付かないディオ(AF62)が登場。(5代目)
中華ディオこと5代目 ディオ
出典:BikeBros.
そして2008年に6代目となるディオ(AF68)が登場し、2014年の販売終了によって50ccのディオシリーズは一旦終わることとなりました。
しかしながら2011年に登場したディオ110が、2023年現在も3代目として販売中。
ディオシリーズの歴史は脈々と続いているのです。
本題
さてさてそんな2代目ディオこと、スーパーディオですが登場は先ほど書いたように1990年12月。
初代のディオと区別するためにスーパーディオと呼ばれますが、ホンダの公式プレスリリースとしてはディオのまま。
ちなみにこれは3代目のライブディオも同じく、プレスリリースでは単にディオのままとなっています。
広告とかカタログには「スーパー」とか「ライブ」とか書かれていたので、ホンダの公式名称ということでは間違っていないですが…。
発売からわずか1カ月後の1991年1月にはスーパーディオSRが登場。
こいつは先ほども紹介したように、フロントブレーキがディスクに変更されたスポーツモデル。
ディスクブレーキ装備 スーパーディオSR
出典:BikeBros.
約1年後の1992年2月に、更にスポーツモデルのスーパーディオZXが登場します。
羽付き! スーパーディオZX
出典:BikeBros.
3代目のライブディオが1994年1月に登場したことで、スーパーディオSRとスーパーディオZXは1993年モデルまで…と比較的短命に終わってしまいます。
しかしながらSRもZXも、どちらもライブディオに引き継がれる形となり人気のあるグレードだったことは確かです。
特にあのリアスポイラーは若い子たちに受けまして、ヤマハのJOG Zと共に2大人気バイクに。
ライブディオZX、JOG ZRとなってからも大人気モデルでしたね。
ちなみにリアっぱねの元祖は…セピアZZ?
特に2代目のセピアZZはカチ上がってましたねぇ…。
(の割にはあまり見かけなかったような?)
2代目 セピアZZ
話はスーパーディオに戻しまして、1994年1月に3代目となるライブディオが登場したあとも…いわゆる廉価モデルとして販売が続いています。
そして1994年3月にはXLR250BAJAのイメージを持った、ディオXR BAJAが登場。
バハは既にライブディオが登場した後の発売となりましたが、車体のベースはスーパーディオでしたね。
東京モーターショーにて参考出品されたものが市販化されたというもの。
個人的にこういった異色モデルは大好物です。
異色モデル ディオXRバハ
出典:BikeBros.
ライブディオと並行して販売が続いていたスーパーディオですが、1997年モデルを最後にラインナップから外れることとなりました。
思い出話
個人的にこのスーパーディオは非常に思い出深いマシンだったりします。
なんと言っても自分が初めて乗ったバイクですので!
トゥデイの記事で書いたように、初めて公道で乗ったバイクはトゥデイです。
しかしスーパーディオはまだ免許を持っていないころ、免許取得を考えていたころに友人が公園で乗らせてくれたバイクです。
公道ではないので免許は不要なのですが…公園に入っていいのか?とか、みなし公道では?なんて話もあるとは思いますが…もう相当に前のことなので時効ということで…。
この友人が乗っていたのが、家にあったというスーパーディオZXです。
(記憶が正しければ…まさに先ほど紹介した黒紫カラー)
自分の家に原付が存在し、しかもほとんど使っていない状態だった…という幸運のために自分専用バイクに近い形で乗り回していた人間ですね。
当時自分の住んでいた地域は車が必須と言える環境だったため、車が家に1台以上あるがために…原付を持っている家というのはあまりなかったかも。
そのため彼は自分の周囲では相当に早く、原付に乗り始めた人間でした。
原付に対して自分や他の友人はチャリで…という時期でした。
まさに高校生になりたて、誕生日がくれば免許が取れる…という時期ですね。
まぁそんなこんなで自分も免許を取ろうと思うわけですが、一度どんなもんかと友人にスーパーディオZXを乗らせてもらったのが冒頭の話。
バイト後の夜の公園で、ちょろっと動かさせてもらった…という感じですね。
ただ…原付スクーターというものに乗ったこともなければ触ったこともない人間でしたので…悲劇が起こります。
怖いのでちょろっとスロットルをフカしてみるも…動く気配がなく、もう少し開けてみたら一瞬遅れて加速!
そのまま公園の砂場に突っ込んでいき、砂に前輪を取られて転倒しました。
幸いにも速度がほとんど出ていなかったことと、足元が砂場だったことで人間もバイクもほぼ無傷。
バイクを貸してくれた友人は側で腹を抱えて笑っていましたね。
スクーターってアクセルレスポンス悪いじゃないですか?
ワンテンポ遅れてからふけ上がるというか…。
当時ラジコンをやっていたこともあり、バイクもモーターのようにスロットル開けた瞬間に前に出ると思ってたんですよねぇ…。
なので「あれ?進まないな。もう少し開けるか」って開けたら、ワンテンポ遅れてダッシュしていき…意表を突かれて対応できず…という感じです。
いやぁ…懐かしい思い出ですね。
ちなみにこの友人とは就職で済む場所がバラバラになるまでの数年間仲良く遊びました。
もう一人仲の良い友人が少し遅れてライブディオZXに乗り始めたこともあり、ディオというバイクは非常に思い出深い車両となっています。