【名車珍車紹介】ヤマハ TZR125〈2RM・3TY〉を好き勝手語る

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日本で最初にオートバイが誕生したのは1909年だそうです。

それがやがて世界一と言っても過言ではないオートバイ大国となり、数多くの名車・珍車を生み出してきました。

そんな名車や珍車の中でも原付一種、原付二種に絞って、個人的な思い出話なども含めて好き勝手語っていきたいと思います。

今回は1987年に登場した、TZR125です。

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ヤマハ TZR125の話

まえがき

TZR125を語る前に語らなくてはならないのがRZの話でしょう。

1980年8月に、現在でも名車として名高いRZ250が誕生。

RDシリーズの後継車種と言うこともできますし、市販レーサーのTZ125のレプリカとも言える車両ですね。

名車中の名車 RZ250

出典:BikeBros.

RDも名車なので語りたいところはありますが…話始めるとTZR125までたどり着けそうにないのでまたの機会に。

RDもRZも今見ても超カッコいい。

そんなRZ250には兄貴分として翌1981年にRZ350が、弟分として同1981年にRZ50が登場。

そこから更に遅れて1年、1982年にRZ125が登場しています。

RZ250、RZ350、RZ125と超々カッコいいデザインですが…RZ50はどうしてこうなった…。

ちょっとコレジャナイ感 RZ50

出典:BikeBros.

さてこのRZ125ですが、1978年だかにモデルチェンジした新型DT125がベース車両。

しかしながら吸気デバイスのYEIS等々、ロードモデルとして大幅な変更を受けております。

1985年には排気デバイスのYPVSを装備。

そして1987年に後継モデルとなるTZR125にバトンタッチとなります。

まさに後継モデルという名にふさわしく、RZ125の最終版とTZR125の初期は共通点も多く、共用部品も結構あったりするのです。

今回の主役 TZR125

出典:BikeBros.

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本題

さてさてそんな1987年に登場したTZR125ですが、RZ125のイメージを引きずっていたのかノンカウル仕様。

今更画像登場 RZ125

出典:BikeBros.

この頃には既にWGPマシンのようなフルカウル車が多く出てきていた時代…ではありました。

例えば1984年にヤマハがワークスマシンYZR500レプリカとしてRZV500Rを販売。

1985年にはスズキがまさにWGPレプリカとも言えるRG500Γを。

免許制度の兼ね合いもあり、レース熱の過熱もあり250ccクラスが最もアツいレプリカ市場となりました。

TZR125の兄貴分と言えるTZR250Rでは、125より2年早い1985年に初代1KTが既にフルカウルで登場。

翌1986年にはクリスチャン・サロンレプリカと言えるゴロワーズカラーに、エディ・ローソンレプリカと言えるマルボロカラーが登場と、時代を感じますね。

ローレプ?マルボロカラー TZR250R

出典:BikeBros.

ローソンレプリカと言うと…この世界ではカワサキのアレを指すことが多いですが、マルボロカラーのTZR250Rもローソンレプリカと言って良いでしょう。

え?250ccなんだからカルロス・ラバードレプリカ?

いやいや、緑じゃなくて黄色のゼッケンスペースだからWGP500クラスですって。

え?平忠彦レプリカ?もしかしたらレイモン・ロッシュレプリカかもしれません。

話はいい加減TZR125に戻しましょう。

ヤマハと言えば!のデルタボックスフレームが採用され、確か当時はクラス唯一となるツインスパーフレームだったハズ?(ただし鉄フレームだったような?)

更にはリアサスペンションもニューモノクロスが与えられ、非常に戦闘力の高い125ccとなっていたそうです。

このTZR125の登場により、当時の125ccプロダクションレースはTZRばかりになったとかいう話も…。

1988年には500台の限定車ながら、雰囲気バリバリのフルカウル仕様が登場。

コイツは2UTと言うらしいが…引用に適した画像が見つけられず残念の極み。

一応見た目はTZR250R、1KTに似ているとだけ。(1KTは上記のマルボロカラーのやつ)

1989年には兄貴分のTZR250がフルモデルチェンジを受け、後方排気レイアウトの3MA…いわゆるサンマに進化。

(ちなみに1988年にはちょっと影の薄い初代のマイチェン版である2XTが出てるよ)

これに伴ったか伴わないのか…TZR125も2RMから3TYにモデルチェンジ。

とは言え兄貴とは違い見た目で大きく変わったのはフロントホイールが16インチから17インチに変更されたことくらい。

あ、リアのブレーキがドラムからディスクになったのも大きな変化でしょう。

しかし足回りなどで色々と変更があり、マニアの間では別物という意見もあるように戦闘力が向上したとかしないとか。

このように前期型(2RM)と後期型(3TY)と分けられますが、125ccクラスの人気低迷もありその後は進化せず…。

しかしながら1999年まではカタログに掲載され続けた、意外と息の長いモデルとなりましたとさ。

おいおいちょっと待て、超カッコいいTZR125RとかTZR125RRとかあっただろ?という方はかなりのマニア。

日本でTZR125が生産終了となったあとも、イタリアのベルガルダヤマハでは製造が続いていたのです。

しかもTZR250、3MAのフレームをベースとして…。

あ、ちなみに500台限定だったフルカウル仕様の2RMのカウルもベルガルダヤマハ製だったそうです。(2UTというらしい)

更にはVツインエンジンに進化したTZR250R、いわゆる3XVが登場してからは…3XVのフレームをベースにしたTZR125RやTZR125RRが日本で作られていたそうです。

日本で製造していた…と言われていますが、全て輸出モデルとなり日本での販売は無かったとのこと。

せっかくなので、海外モデルや輸出モデルも少しだけ見ていきましょう。

ベルガルダヤマハで製造されていたのが4DLと言われるもののようで、コイツは3MAをベースにした車体。

一時期赤男爵ことレッドバロンが輸入していたために、日本で見かけるTZR125Rはコイツがメイン。

明確な違いは不明ですが、TZR125RRはサイレンサーなどが違うとのこと。

SP的な立ち位置?

これまた引用に適した画像が見つからないため、250ccの3MAでお茶を濁します。

サンマもしくは後方排気 TZR250

出典:BikeBros.

自分が調べた限りではベルガルダヤマハが3XVをベースにしたTZR125Rを作った…という情報は見つからないものの…中古市場では3XVがベースのモデルが存在します。

後ほど紹介する日本で作った3XVベースのTZR125Rと混ざっているのでは?という気もするのですが、日本製造とはスイングアームの形状が違うんですねぇ。

ベルガルダヤマハと言われるのは3XVと同じ「への字」のスイングアーム。

日本製造の輸出モデルと言われるのは、真っすぐのスイングアームの上部に補強が入ったタイプ。

この辺りは情報をお持ちの方は教えてプリーズです。

さてさて、チラっと名前がでた日本で製造していた輸出モデルというのは…輸出先によって仕様が異なるようです。

主な部分は免許制度における出力制限でしょうか?

そのため型式も色々とあって、4FL、4HW、4HX、4JBなどがあるそうです。

こちらは先ほど触れたように、TZR250Rの最終型である3XVがベースとなっており1993年頃から製造されたようです。

(3XVの登場が1991年)

この4FLとか4HWとか言われるモデルは、3XVそっくりな見た目ながら…先ほど触れたようにスイングアームの形状が違います。

3XVに比べると簡素な真っすぐな某に上部補強が入ったタイプで、恐らく鉄製なんじゃないかと。

(イメージとしては3MAのスイングアームを上下ひっくり返したような形)

日本での販売は無かった…と書きましたが、プレストコーポレーションが約20台と超少数ながら並行輸入した実績はあるようです。

プレストも今は無くなっちゃったもんなぁ…。

こちらも適当な画像がないため、250の3XVでお茶を濁します。

V型搭載でフルモデルチェンジ 3XVことTZR250R

出典:BikeBros.

今見ると2RMや3TYも趣を感じますが、やっぱりその後の4DLや4FLはとてもカッコいい。

TZRは250もそうですけど、カウルの形状…特にナックルガードの形状が「ヤマハのレーサー」らしさがあってカッコいいのです。

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思い出話

そんなTZR125ですが、自分の友人が一時期乗っていたことがあります。

今となっては2RMだったのか、3TYだったのか思い出せないのですが…時は2000年代前半、赤白のヤマハカラーだったことを覚えています。

1番の思い出はと言うと…その友人と日光に行った話です。

TZR125の友人を先頭に、真ん中に50ccMT車の違う友人、最後尾に4st250ccに乗っていた自分と3人で日光に。

それまでは通常のペースで走っていたものの、いろは坂に差し掛かった瞬間に先頭のTZR125は猛加速!

50ccMTの友人もそれに付いて行こうとギアを落としてパワーバンドに入れるも…登り坂で2.5倍の排気量の差には当然勝てず。

自分はどうしようかなと思って後ろにいたのですが、前の友人が先に行けとジェスチャー。

TZR125を追おうと加速させるも、既に随分と先に行ってしまったようでした。

追いつけるかな?とか思いつつコーナーをいくつか抜けた瞬間…目の前に飛び込んできたのは倒れたバイク大量の白煙を上げる路面。

嫌な予感はもちろん的中し、倒れていたのはTZR125…。

乗っていた友人は怪我は全くないようで、「いろはにほ…5つ目でやっちまった…」とかわけのわからないことを言ってましたね。(これが仲間内で有名となる、ほコーナー伝説)

路面の白煙の正体は水蒸気で、なんとラジエーターホースの下側…エンジン側とでも言うのか、その継ぎ目を転倒時に割ってしまったようでした。

しかしここで全くめげないのがこの友人の凄いところ。

残った冷却水を手持ちのペットボトルに可能な限り入れ、路面は水を流して掃除。

空冷状態になりつつも回転数を抑えていろは坂をクリアするのです。

帰りはどうするのかと思いきや、中禅寺湖でペットボトルの水を購入。

500mlのペットボトルを3人で3本持ち、ラジエターに水を足しながら垂れ流しで下界まで下りるという作戦をたてました。

道中水道のあるところで水を補充しつつ、無事に街中に帰ってくると金物屋に直行。

コーキング材とガンを購入すると、その場でパテ盛りの要領で空いた穴を塞ぎだしました。

完全には止まらなかったもののポタポタ垂れる程度になり、ツーリングは続行。

垂れ流しているのはただの水ということで、そのまま道中何度も給水しながらなんと神奈川県まで帰ったのです。

今思うとアホだなぁ…でも凄いヤツだったなぁ。

きっと後にも先にも、日光の天然水を冷却水代わりにラジエターに突っ込んだヤツは彼だけではないでしょうか?

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