日本で最初にオートバイが誕生したのは1909年だそうです。
それがやがて世界一と言っても過言ではないオートバイ大国となり、数多くの名車・珍車を生み出してきました。
そんな名車や珍車の中でも原付一種、原付二種に絞って、個人的な思い出話なども含めて好き勝手語っていきたいと思います。
今回は1986年に登場した、YSR50です。
ヤマハ YSR50の話
まえがき
YSR50…このなんとも悲しき運命と言うか…時代に翻弄されたバイクを紹介するためには、当時の情勢を紹介する必要があるでしょう。
時は1986年、レーサーレプリカブームと呼ばれた時代の若者たちは当然のようにスポーツバイクに熱中していました。
この1986年2月にスズキが投入してきたのが、現在のミニバイクというフォーマットを作ったとも言えるギャグです。
本気で作られたパロディバイク ギャグ
出典:BikeBros.
こいつはライトこそ形状が違いますが、GSX-Rのイメージを強く押し出したモデル。
その本気度の高い外観ながら、空冷5.2psの…ビジネスバイクであるバーディのエンジンを積んだ…どちらかと言うとミニサイズのレジャーバイク的な立ち位置として登場しました。
まさに羊の皮を被った狼…ならぬ、狼の皮を被った羊。
そのコンセプトはまさに「ギャグ」という車名にも表れていたのです。
当時としてはかなりセンセーショナルだったようですが、ユーザーにもウケたようで…すぐにヨシムラを始めとしたアフターパーツメーカーから様々なパーツが販売されています。
発売当初はこのカテゴリーというものが無かったために、かなりの盛り上がりを見せたようですね。
コンセプトはレジャーバイクではあるものの、そこはやはりスズキらしく…実はかなりの走行性能を誇っていたのも人気の秘訣だったようです。
ここから遅れること1ヶ月、1986年3月にヤマハからYSR50が販売されました。
発売がわずか1ヶ月後ということを考えると…ギャグの成功を見て…というよりは、ヤマハでも同様のコンセプトがあったのでしょう。
前年に発売が開始されたTZR250に似たデザインというべきか…もっと大きく括ってWGPレプリカと言うべきか…。
その見た目通り、RX50のエンジンをベースとした2stが特徴でした。
またギャグと比較すると、よりレーサー気分が味わえるバイク…言い換えれば走行性能が高いのも特徴でした。
今回の主役 YSR50
出典:BikeBros.
時はレーサーレプリカブームであり、こんな良い素材が販売されたとあっては…当然活躍の場はサーキットに。
開発コンセプトの違い、更には4stと2stの構造的違いもあり、ミニバイクレースではYSR50が主役になりました。
どうしても同じ排気量では2stの方がパワーが出ますし、軽量にも作れます。
更にはメンテナンスの容易さや費用を考えると、やはりレース向きなのは2stなんです。
現在まで続く、12インチのミニバイクレースというジャンルを作り出したバイクと言えますね。
ミニレプリカというジャンルを作り出したギャグは名前の通りにパロディ的な要素も強く、YSR50もまだ雰囲気を楽しむバイクだったと言えるでしょう。
しかしこのジャンルの盛り上がりを見て、1987年にホンダがNSR50を投入。
NS50Fのエンジンをベースにした水冷エンジンを搭載し、前後ディスクブレーキにクロスミッションと言った超本格装備で参入したのです。
水冷対空冷…というだけでも(レースというジャンルを見れば)不利にも関わらず、YSR50のベースとなったRX50のエンジンは一世代前のもの…。
ホンダの本気マシンに当然太刀打ちすることができず、ミニバイクレースの車両はあっという間にNSR50一色となっていくのです。
(もちろん価格差もありました)
YSR50もいわゆる2型を投入したりとテコ入れはしていますが、やはり基本性能の差を埋めることはできず…。
と言うか…そもそもの開発コンセプトが違う…。
そのため、1993年に打倒NSR50としてTZR50RをベースにしたTZM50Rが登場することとなるのです。
これがいわゆる…スズキ(ギャグ)とヤマハ(YSR50)がキャッキャウフフしていたところに、ホンダ(NSR50)が本気で殴りこんできて、それをヤマハ(TZM50R)が殴り返しにいった…というお話です。
本題
さてさてそんな…誤解を恐れずハッキリ言ってしまえば、NSR50さえいなければもっとロングライフとなったであろうYSR50です。
いや、ホンダが参入したとしても…同程度のマシンにしてくれれば…という思いも無きにしも非ず。
とは言え、HY戦争は終わってはいたものの…やはり時代はまだまだパワーウォーズ。
高性能で高出力なモデルが競うように販売され、それが売れていた時代でした。
原付であろうとも、その流れからは逃れられなかったのでしょう。
そんなYSR50ですが、先ほど紹介したようにベースとなったエンジンは1980年に登場したクルーザーのRX50です。
50ccアメリカン RX50スペシャル
出典:BikeBros.
しかもこのRX50と言うのは…遡ればGT50系のエンジン。
GT50の初年度は1972年ですので、1987年登場のNS50Fとは当然比較にならないのです。
まぁNS50Fも遡ればMBX50となり1982年とはなりますが…ベースとなったエンジンには10年の差があるのですね。
YSR50は名称からもわかるように、WGP500のYZRのイメージが強く押し出されていたのが特徴的。
当初は赤白のヤマハワークスカラーに、ゴロワーズブルー風の2色。
更には限定車として同年のGP500でチャンピオンを獲得したエディー・ローソンレプリカと言えるマルボロカラー。
そして平忠彦が鈴鹿8耐で乗ったYZF750のテック21カラーなどが販売されました。
1988年にはモデルチェンジが行われ、より走行性能を上げるべく様々な変更が行われています。
フレームはダイヤモンドからダブルクレードルに変更され、フロントのディスクローターは穴空きタイプへ。
旋回性能向上のためにキャスター角が見直され、バンク角を確保するためにブレーキペダルの調整なども行われています。
ヤマハワークスカラーの他、限定でUCCカラーも販売がありましたね。
戦闘力アップ!フルモデルチェンジ YSR50
出典:BikeBros.
しかしNSR50という…ホンダの本気を前にして戦闘力不足は否めず、1988年モデルを最後に短いモデルライフを終えてしまうのです。
そりゃ仕方ないのです、YSRとNSRではコンセプトが違うので。
水鉄砲打ち合って遊んでだところに、いきなりエアガンを持ったホンダ君が現れたのです…勝てるわけがないのです。
思い出話
このYSR50、友人が持っていました。
乗っていました…ではなく、持っていました…が正しい表現ですね。
一応ナンバーは付いており、数回ほど見たことがあるのですが…基本的には違うスクーターに乗っていた友人です。
今となっては1型だったのか2型だったのかも思い出せないですが、赤白のワークスカラーだったことは覚えています。
時は既に2000年代も中盤となっており、この時点で20年落ち。
なんだか自分もおじさんとなった今では20年落ちなんて大したことないじゃん…と思いがちですが、当時は10年落ちてたら古いという印象がありましたね。
まぁ2000年代の20年落ち…つまりは1980年代製造と、2020年代の20年落ち(2000年代製造)は違うのかもしれないですが…。
単純に現役で走っていたころの記憶があるだけ…なのかもしれないですよね。
うん、こっちかもしれないですね。
単純に昔乗っていたことがあるから古い気がしない…だけな気がしてきた。
それはそれとして、そう20年落ちということで友人が所有していたYSR50はあまり調子が良くなく…あまり稼働していない状態だったんです。
そして…やはり12インチのミニサイズレプリカは疲れる…と言っていました。
自分もNSR50に少し乗ったことがありますが、長距離走るバイクではないですよね。
当時はNSR50もプレミアと言うか…既に値が上がっていた印象。
TZM50Rの方がちょっと安かったものの…タマが少なくなかなか選べない…といった状況でした。
YSR50は…既にタマが本当に無かったですね(これは今でもですが)
という時代背景ということもあり、NSR50ではなくYSR50を持っていた彼は変わり者扱いされていました。
しかもこの友人…別にヤマハ党なわけではないというね…。